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被災地行きの報告 − Br.シャンタジより(4/15-18)

By , 2011年4月29日 12:00 PM

4月15日金曜日、ほぼ一日中被災地援助のために必要な品物を集めて回った。食糧、軍手、感染予防や放射能漏れの場合に備えてマスクを購入。安価なテントも買わなければならなかった。そして東京アシュラムから寝袋も積み込んだ。薄手のものだったが、アシュラムにある寝袋はそれがすべてだった。被災地では東京よりもずっと寒いということは知っていた。しかし、実際どれほど寒いのかは行ってみるまで想像もつかなかった。一緒に向かったのは3名:星さん(ナート)、宮沢さん(サントーシュ)そしてわたし(シャーンタアムリタ)。東京を出発する頃にはもう夜9時近くになっていた。そこから45キロの道のりである。わたしたちの目的地は石巻市。そこではETWが集中的にボランティアを続けてきていた。
 
石巻市には10メートルを超える津波が襲ったとのこと。津波は600メートル内陸まで押し寄せ、海岸沿いの捕鯨の港々にある500軒の家を破壊した。この場所だけでも、死亡者数は5000人を超えていて、全犠牲者数の19%を占めている。
 
石巻に近づいたのは朝2時頃。車のガソリンがあとわずかとなり、エンプティーランプが点滅し始めた。ずっとガソリンスタンドはない。探し続けたが無駄だった。災害の被害を免れた市街地でもガソリンスタンドはすべて閉まっていた。予備のガソリンもすでに使い切っていたので、しかたなく、見つけたガソリンスタンドの前に車を停めて、朝の開店まで待つことにした。わたしたちは通りの反対側のコンビニの駐車場に車を停めた。車から外に出ると、海の潮の強い臭いがした。魚か何かが腐敗し始めているようだった。
 
駐車場にテントを組み立て、3時近くに寝袋に入った。わたしたちはとても疲れていたが、救急車がサイレンを流しながら何度も通り過ぎて行き、寝るのは容易ではなかった。真夜中にも関わらず、テントの横を人が歩いていた。どこへ行こう、何をしよう、どうしたらいいだろう、などと話しながら。それでも何とかわたしたちは眠りについた…
 
数時間経って、サントーシュが目を覚まし、ガソリンスタンドが開いていると言った。わたしたちはテントを片づけ、車に乗り込み、その日の活動を開始した。ガソリンタンク満タンにして一安心、大学のキャンパスを目指した。そこはヴィヴェーカがIVUSAとの援助活動の拠点にしていた場所だ。到着すると、何千人ものボランティア志願者が集まっていて、ボランティア登録をしたり、テントを張ったりしているのが目に入り、感動した。石巻は、100万人の人口を持つ宮城県の県庁所在地である仙台市から車で一時間ほどで、アクセスがいいこともあり、何千人ものボランティアがそこに援助のために集まってきていた。
わたしたちは次の大きな居住地である気仙沼の様子を調査するため、さらに北を目指すことにした。
途中、道路が破壊されていたため、わずか80キロの道のりに2時間半を要した。
 
気仙沼では2000人以上の方が亡くなっていて、石巻とかわらない被害を受けているようだったが、助けに来ているボランティアの数はずっと少ない。わたしたちが到着した時には、援助物資が数千人の避難者に配られているところだったが、受け取る人たちは何百メートルにも渡り、長い列を作って並ばなければならなかった。中には古いすりきれた靴下にサンダル履きという人もいた。災害ですべてを失ったことが見るからに明らかだった。
 
援助物資は、体育館の外にきちんと列に並べられていて、残りは体育館の中にまとめられていた。被災者は100人ごとのグループに分けられ、持ち時間10分で必要なものを集めて、ゴミ袋1枚の中に詰め込んでいた。靴下、靴、肌着、寝袋その他箱から品物を選びながら、彼らの目は輝いていた。何時間も経って、次々と人が流れて校庭に出て行った。皆それぞれに一枚のゴミ袋を運んでいた。お年寄りも小さな子供たちも援助物資で一杯になって重くなった自分のゴミ袋を運んでいた。避難所には交通手段はないので、ただ歩くしかない。雨が降り始めた。そんな光景をずっと見ていて、わたしの目に涙が溢れた…
 
わたしたちはここでもまたIVUSAと合流した。かれらはここで援助物資の配布の手伝いや被災者への炊き出しを行っていた。その夜、近くの高台のキャンプ場で学生たちと一緒にキャンプをした。夜の気温は氷点下まで下がったようだったが、幸いにも何人かが毛布をシェアしてくれたので、何とか眠ることができた。
 
翌朝、わたしたちは学生たちがやっている泥出し作業に加わった。
 

 
午後、わたしたちは状況把握のためにさらに北へ向かうことにした。石巻と気仙沼の違いを見て、25キロ北の陸前高田ではもっと助けを必要としているのではないかと考えたからだ。13メートルの津波が人口23000人の穏やかな港町を襲った。市職員の3分の1を含む人口の約10%が災害により命を落とした。自宅が流されたり、破壊されたりしているため、少なくとも元の人口の70%が現在88の避難所に分かれて避難している。特に市の中心地も、あまりに荒廃していて、ぼうぜんとしてしまう。
 

 
地元のボランティアセンターを探すために、まずは市役所に行ってみることにした。
もともとは、このようなきれいな市役所があった。
http://en.wikipedia.org/wiki/File:RikuzentakataCityHall.jpg
 
しかし、市役所の場所に着いて、わたしたちの目に移った光景がこちら。
 
被災後の陸前高田市役所
被災後の陸前高田市役所
被災後の陸前高田市役所周辺
 

 
さらに探して、わたしたちはボランティアセンターにたどり着き、責任者の人と会うことができた。信じられないことに、彼らは小さな食堂を事務所として活動していた。こんな小さな設備の中から、被災者達の火急の必要性に応えるのはとうてい不可能と思われた。とにかく、そこのマネージャーは援助チームをできるだけ早く送ってほしいと言って、私たちが必要な情報すべてを教えてくれた。あきらかに必要なボランティアがまったく足りていないので、わたしたちは、次回は陸前高田に援助に来ることに決めた。明日、東京と仙台から10名が出発予定。火曜日には陸前高田でのボランティアを始める。彼らの努力が実を結ぶことを祈っている。
 
オーム ナマ シヴァヤ
 
シャーンタアムリタ
 

震災前の陸前高田市(2010年7月)

震災後の陸前高田市