岩手県陸前高田市より報告1(4/25−29)

By , 2011年5月16日 8:55 PM

今回9名のボランティアが陸前高田市へ向かいました

(今回参加した越智さんのリポート)
 
陸前高田では、もとの人口の7割の1万5千人もの人々が避難生活をおくっています。
 
私たちは、ボランティア・センターから仕事を紹介していただき、3つのチームに分かれました。
仙台からのチームは避難所の食事作りの補助をし、ひたすらイカをさばき、魚を焼きました。男性のチームは瓦礫の撤去作業へ向かい、私たちは日常生活をしていた場所へ行って、お手伝いしました。
 

きれいな小川でひとつひとつ手洗いします

最初にした仕事は洗濯でした。きれいな小川での洗濯です。その家の奥さんの話によると、家屋は外形をとどめてはいるものの、中のものは全部、津波によって流されてしまったということです。箪笥の中にかろうじて残ったものを一つひとつ洗って、衣服など着られるものは使っていく、という感じでした。普段なら「こんな風になったら捨ててしまうよね」というようなものも、大切に洗います。そのかたは、たまたまボランティア・センターの近くに家があったので、こういった支援を受けられることを知りましたが、まだまだ知らずにいる人もたくさんいます。
 
2日目は、ひとりで知的障害者の施設へ行き、入浴介助のボランティアをしました。現在、その地区では水は出ず、電気も通っていません。山から水を引いています。
 
70歳くらいの女性に、お風呂に入っていただき、そのあと話をしていたら、自室に案内されました。埼玉県に親戚が1人いるだけで、両親を亡くし、近くにいた親戚も亡くなったそうです。生きる希望がなくなってしまったようで、子供が甘えるように私にすがって、いろいろな心情を訴えてきました。傷ついた心を切り替えるのは難しそうでしたが、施設の職員のかたは普通に話し、災害のことも、本当に普通に話していました。「私の家も流されたのよ。あはは」と、笑って話していました。笑って話せるのです。「しょうがない」って。それって、すごいことだなと感じました。その施設の職員さんたちは全員無事でしたが、親戚のかたがたは亡くなっているそうです。このような状況にあっても、普通に生活するということが、本当に大切だとつくづく思いました。
 
支援物資を配りながら、被災者のかたと話しました。
 
陸前高田では、夜は雨が降ったりして、かなり寒かったので、「避難所は寒くないですか?」と聞いてみると、夜は服を着たままで寝ているということでした。毛布が2枚だけで、カイロもあるけれど、かなり寒いそうです。なのに、その60歳近いかたは、「私よりもお年を召したかたがいるので、私はいいのです」と、配られたものを他のかたに譲っておられました。悲しい気持ちをたくさん抱えながらも、みんなのことを考えているのです。そういうかたが多いのではないかと思います。そのかたは、自分の親戚や知り合いのつてをたどって、どうにか必要なものを揃えているようでした。生きる力とは、悲しみをどのように乗り越え、これから先はどうしようかという、意識の切り替えだということを学びました。
 
陸前高田の市役所があったという、津波の被害に遭った海に近い地域に視察に行くことができました。
 
あまりにも強烈で、近寄ることができない場所もありました。案内してくださったかたが話してくれました。彼の家の周りでも、たくさんのかたがなくなったそうです。仕事も失いました。一面の赤い印(遺体がある場所)を見つめながら、これから先の自分の人生について考えたそうです。けれども、私たちが帰る頃には、彼の表情は変わっていました。私たちがいた3日間のあいだに、マッサージを受けたり、支援者たちと会う機会も少しづつ増えてコミュニケーションもとれるようになったためか、目の中に光が出てきていました。
 

Leave a Reply