ボランティアが仙台を訪問し、食料配布と視察を行う(3/13−14)

By , 2011年3月15日 12:00 AM

自衛隊員と訪問グループ一行

仙台より報告(2011年3月14日)

エンブレイシング・ザ・ワールドによる東北関東大震災の援助活動の第一陣として、東京のアシュラムから、災害から3日目の3月13日、私たちはアンマからのアドバイスを受け、視察と食料配布を兼ねて、仙台に車で急行した。高速が一切使えないため、下道を400キロあまり、途中事故原発のある福島も 通りながら、走り続けた。

東北地方では、すでに死者・行方不明者は、公式には4400人を超えるが、その他に、1万人とも2万人ともいわれる人たちの安否が確認できていない状況だそうだ。余震は毎日続いていて、震度4以上の余震が、本日も午前中だけで47回あったそうで、東日本の人たちは、不安な毎日を過ごしている。

ここ仙台で、地震・津波で、家や安全な居所を失った人は、食料の問題が深刻だ。スーパーやコンビニでは、食料がほとんど手に入らない。

私たちは出発前に、おにぎり等の包み、クッキー、ポップコーン、飲料水などの簡単な食料を配れるように用意してきた。それを仙台市の中心部に近い 公園で、ささやかながら配布した。穏やかで春の日差しの暖かいこの公園には、様々な被災者が自然と集まり、被災三日目を過ごしていた。

高校生の男の子二人は、となりの岩手から、大学の説明会に来たところで被災した。一人は、岩手の家は大丈夫だということだが、もう一人は岩手の家 が流されてしまったと私たちに言う。ご家族の安否はどうかと尋ねたかったが、それはやはりできなかった。聞かなくても伝わってくる何かが、私に聞いてはな らないと、告げていた。岩手や近隣に行く電車もバスも止まった仙台に足止めされた二人は、公園の水道で、顔や体を洗っていた。

お年寄りの単身の人も多い。

身を寄せ合うようにベンチに座っている若いカップルは、食料を勧めても、はじめは「私たちはまだましな方で、食べ物を少し持っているんです。他に もっと困っている人がいるでしょうから」と遠慮していたが、『心配しないでください、私たちは東京からそのために来ているのですから、どうぞ』と説明する と、表情をほころばせて受け取ってくれた。

帰る場所を失った人たちは、容易に見分けることができる。たいていの人は、バッグ一つか二つを抱え、そこにたくさんの物をつめている。着のみ着のままこのような状況に、突然と追いやられ、人生が大きく変わってしまい、茫然と見つめているのだ。

食料を受け取った人の表情から、こんなささやかな支援にも喜んでくれているのが分かる。それを見て、本当に食料確保が一大事なのだということが、 私たちにもまた分かる。私たちは、その仕事に没頭して、写真撮影まで気が回らず、今回はその写真が残念ながら一枚もない。しかしその寂しそうな表情とそれ に続く笑顔は、訪れた私たちの心の底に、深く焼き付いた。

海辺から3キロ地点の泥流の水田の間の道を歩いてきた若い男女の二人は、女性は家の一階が泥に占領されていると言う。男性は、家をすっかり流された。ガソリンが手にはいらないので、必要なものを手に入れにいくこともできない。

写真の女性は1978年の宮城沖地震と今回の地震の2度被害に遭われた

海辺から約4キロ地点に家を持つ女性(78才)は、家と作業場が津波のため、半壊した。彼女は、1978年の宮城沖地震(マグニチュード7.4) にも、同じ家で被害にあったそうだ。今回も、膝上まで水につかりながら、なんとか車を運転して逃げて助かり、家の様子を見に戻ってきたところだった。

そばを横切る道路の土手の向こう側一帯は、「未捜索地帯」であり、津波で深く覆われた地域だが、近隣の人によれば、まだ家屋や安否の捜索が開始さ れていないという。ちょうどその時、自衛隊が初めて見にきて、未捜索地帯の入り口にあたる道路の障害物除去作業に手をつけはじめた。

近隣の東北の春は遅く、山沿いはまだうっすらと雪が見える。

今回はまた、仙台地域の仲間の安否の確認も行うことができた。

 

東北地方では、すでに死者・行方不明者は、公式には4400人を超えるが、その他に、1万人とも2万人ともいわれる人たちの、安否が確認できていない状況だ。

余震は毎日続いていて、震度4以上の余震が、午前中だけで47回あったそうで、不安な毎日を過ごしている。

そばを横切る道路の向こう側は、「未捜索地帯」であり、津波で深く覆われた地域だが、まだ家や人の捜索が開始されていないという。

「未捜索地帯」の泥流で塞がれた入り口を、自衛隊がちょうど初めて見にきて、様子を窺っていった。

海辺から約4キロ地点に家を持つこの女性(78才)は、家と作業場が津波で半壊した。 彼女は、1978年の宮城沖地震(マグニチュード7.4)にも、同じ家で被害にあっている。今回も、膝上まで水につかりながら、なんとか車で逃げて助かった。家の様子を見に戻ってきたところ。

海辺から3キロ地点の泥流の水田の間の道を歩いていた若い男女の二人は、女性は家の一階が泥に占領されていると言う。男性は、家をすっかり流された。

田園や道路一面は、泥や様々な浮遊物に覆われた。

ここ仙台で、地震・津波で、家や安全な居所を失った人は、食料の問題が深刻だ。スーパーやコンビニでは、ふだんは棚に溢れる食料が、ほとんど手に入らない。

近隣の東北の春は遅く、山沿いはまだうっすらと雪が見える。

 

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