ボランティア報告(5/9−6/17)

By , 2011年7月21日 12:19 AM

(谷口さんファミリーのリポート)
 
2011年5月9日(月)

気仙沼 − 屋内外の清掃と家具や食器を洗う

気仙沼駅前と市長さんのお宅で作業した。今回の津波は、いろいろな人たちの意識を変えさせたのだろうか? 高台に建つその家は残ったが、辺り一面の瓦礫と溝が異臭を放っていた。
 
2011年5月10日(火)

気仙沼 − 家の外回りの泥かきと木の剪定、瓦礫の撤去を行う

半壊した個人宅の外回りの片付けだったが、庭や裏庭の泥をかくと、多種雑多なものや腐った魚やウジ虫がウジャウジャ出てきた。辺り一面のそれらを土嚢袋に詰めて片付けた。この家の庭で4人のご遺体が見つかったそうで、知らない人が花を供えに来るのだという。庭には自動車が突っ込んだまま、更に他所の家までもが流れ着いていた。庭の桜の木のてっぺんに、おばあちゃんがしがみつき助かったそうだ。また、見ず知らずの人たちも皆2階に駆け上がり、津波が押し寄せる光景を目の当たりにしたとも聞いた。気仙沼は、家々が外形は保ってはいるものの半壊状態で、瓦礫と魚市場から流れた魚混じりの汚泥と異臭で、なんだか形が残っている分、廃墟の町のように見えた。依頼主は「な〜んも無くなった」とやけに明るかった。被災直後からアメリカから駆けつけていたボランティア3人組と一緒に作業した。国外からも駆けつけてくれた人たちがいることに感動した。依頼主さんは、彼らと抱き合ってお礼を言っていた。
 
2011年5月11日(水)

陸前高田 − 避難所での食事作りと個人宅の草むしりを行う

市会議員さんのお宅の草むしりだった。しかし議員さんは、津波のとき、パレードの人たちを避難させながら、ご自身は亡くなられたそうだ。あとに残された奥様からいろいろと話をお聞きした。「普段は近所の人たちともあまり言葉を交わさなかったのに、こういう事態になって初めて、皆が声を掛け合うようになり、親しくなった」。
 
2011年5月12日(木)

陸前高田 − 田んぼの瓦礫撤去を行う

見渡すかぎり、瓦礫が散乱した田んぼの片付けは、朝から3人で始めたが、気が遠くなりそうになった。隣りの田んぼで100人単位で作業していた「遠野ボランティア」の方に声をかけると、80人ほどの人が駆けつけてくれて広い田んぼが一枚また一枚と片付いていった。1人や2人では何もできないけれど、何十人も集まれば、あっという間にできるということを実感した。
 
2011年5月13日(金)

陸前高田 − 浸水した家の床板はがしと泥出し、家の周囲の瓦礫撤去と清掃を行う

「遠野ボランティア」の80人と水に浸かった床板を剥がしながら、床下の泥出しをした。総勢90人、1日の作業でキレイになった床下と家周りに石灰を撒いた。気持ちが沈んで投げやりになっていた依頼主さんも、帰り際には「この家、修理しようかな」と初めて笑顔を見せた。この日一緒に作業したボランティアは、昨日この近くの家で作業中、床下から小さな子供の遺体を発見したそうだ。「まるでセルロイドの人形のようにキレイなままだった」と言っていた。毎日、10人ほどの警察官が遺体捜索をしているのを目にする。自衛隊のキャンプもあちらこちらに目につく。
 
2011年5月14日(土)

気仙沼 − 納屋、ガレージの瓦礫撤去と泥出しを行う

商店街の仏具屋のガレージに流れ着いた、あらゆるものを泥まみれになりながら運び出していると、その家の若い娘さんも一緒になって片付けだした。汗だくになって片付いた一角を見て満足した。

PS:翌月、その仏具店の前を通るとキレイになっていたので嬉しかった!
 
2011年6月14日(火)

陸前高田 − 畑の瓦礫撤去を行う

こんな山間の林の中にまで津波が押し寄せてきたのかと、実にいろいろなものが流れ着いていた。教科書、ランドセル、缶ジュース、冷蔵庫、紙おむつ、布団、たらい、鍋、シャンプー、たんす、ハンドバッグ、茶碗、スリッパ店のオーダーメニュー etc …。大木と一緒に流れ着いていた。台湾の仏教関係グループが、この地域の避難所の人たち50人に、一人当たり10万円ずつ義援金を手渡してくれたと、地元の人たちはとても喜んでいた。国からの義援金は業者にばかり流れ、個人の手には届かず、家の修理もできないため日々の暮らしにも困っているとこぼしていたが、果たして特定の個々に現金を渡すことが先々よいことに繋がるのかどうかは分からないと感じた。
 
2011年6月15日(水)

陸前高田 − 屋内外の清掃と家具を洗う

目の前が海で、周りの家々は跡形も残っていないというのに、この家は土台からしっかり建てたと言うだけあって、窓ガラスが壊れ、泥を被っただけで全形そのまま残っていた。柱もしっかりしている。一緒に作業したボランティア(個々で集まった人たち)の中には、震災直後から自分の車に寝泊まりしながら被災地を回り、ボランティア活動を続けているという人たちもいて、そういった出逢いもまた嬉しい。
 
2011年6月16日(木)

気仙沼 − 山道際の立ち枯れの木々の伐採と片付けを行う

依頼主さんは、家を流され、避難所暮らし。「お金もなく、誰にも頼めなかった」とこぼしていた。作業中、通りがかった近所の人がアイスクリームの差し入れをしてくださった。立ち枯れの杉の木を何十本も倒し、片付けた。大木は4メートルに切り分け、木材として売れるように束ねた。木の伐採は素人の集まりだったが、危険な作業は皆で声を掛け合い、無事に終わった。この日一緒に作業したボランティアの中には、尼崎から来たという自称演歌歌手もいて、唄、紙芝居、パフォーマンスをしながら被災地を回っているという。いろいろなボランティアがいる。また、湾岸沿いのこの辺りは地盤沈下もしたため、午後3時には作業している道や山際も水に浸かるとかで、午後には水かさがじわじわと増してきた。
 
2011年6月17日(金)

気仙沼 − 個人宅の立ち枯れの木の伐採と片付けを行う

この家も目の前は海だったが、泥を被っただけで全形が残っていた。2階に住んでいる88歳のおばあちゃんは「今までにボランティア300人が来てくれて、ぐちゃぐちゃだった家を片付けてくれた」と皆で撮った写真を見せてくれた。おばあちゃんは毎日神様に手を合わせ、お礼を言っているそうだ。

午後から、大船渡の様子を見に行き撮影する。岩手県社協へ行き、岩手県の被災地状況を聞く。約8000世帯中4000世帯が被災。総人口約24000人中約2000人が死亡または行方不明。魚市場はキレイに片付けられていたが、町全体が魚の腐った臭いがした。坂が多いせいか全壊のところと全く被害を受けていないところが入り交じり、地元の人たちは複雑な心境だろうと思う。